SPECIAL EDITION

SPECIAL EDITIONは日替わり月替わりのメンバーで毎日更新予定📖いろんなひとに読んでもらえたらいいなと思っています。みんなの毎日にぜひよろしくね。

パラード /やさしさ

 去年の秋頃の話です。

 

 

 下北沢のはずれにある小さなレコード屋さんで、1本のVHSテープと出会いました。ただでさえ狭い店内の、その中でもいちばん目立たないような隅っこのスペースに、それはひっそりと並んでいました。

 

 陽に灼けて色の褪せきった外箱の背表紙に刻まれた「パラード」というタイトルと、表側に描かれた淡い色調のイラストが、どうしてか気になって仕方なくて。耳慣れない片仮名4文字にあれこれ想像を巡らせながら、わずか300円ほどで投げ売りされていたビデオ・テープは、気づけばぼくの鞄の中にありました。ふしぎなカセットの中身への期待と不安が入り混じった、やや高揚した気分でその日は帰路につきました。

 

 

 中央線沿いの静かな喫茶店でそのVHSを観たのは、それから2週間ほど後のことです。ちょうど陽も暮れかかり、高円寺の街はいくらか人通りが多くなる頃でした。

 

 

 「パラード」 1974年 監督:ジャック・タチ

 

 

それは、とあるサーカス団のショウの一部始終を描いた、90分にも満たないくらいの短い映画でした。どこか気の抜けてノンシャランとしたユーモアが、軽快で洒落た音楽にのせて延々と絶え間なく紡がれる、たったそれだけのフィルム、だけどそれが可笑しくて愛おしくて。エンドロールが流れきったあとも、心地の良い余韻で暫くのあいだ動けなかったことを覚えています。例えるならば、誰にも教えたくないけれどすきなひとにだけこっそり耳打ちで伝えたいような、そんな映画でした。

 

 

 喫茶店の階段を降りると、辺りはもうすっかり夜の空気を纏っていました。     
 
 見慣れたはずの街の灯りがその日、すこしだけ滲んできれいだったことを、いまでも高円寺へ出掛けるたびふと思い出します。ひょっとしたらあの日の一部始終が、ぼくにだけみえた魔法のようなものだったのかもしれません。

 

 

 パラード、というタイトルの意味はまだ知らないままです。

ここだけの話 #2 / わ 07-08

コーヒー豆の焙煎をしている。コーヒー豆と呼んでいるが、実際にはコーヒーチェリーと呼ばれる果実の種子である。コーヒーの生豆は緑っぽい色をしていて、青臭いにおいをしている。これに火を入れ、様々な方法で抽出し1杯のカップが出来上がる。大型の焙煎機を導入する費用もスペースもないため、小型の手回し焙煎機を使っている。一度に少量しか焙煎ができないし、排気や冷却機能はもちろんない。私の環境ではガス圧計がなく火力を固定できないし、釜内の温度を厳密に測ることも難しい。回転数も自分の腕次第である。アナログな要素が多く、再現性にも欠けてしまう。非常に頼りない。

しかし、アナログな要素が多いからこそ、深く楽しめている。豆の状態変化を近くで見ることができるし、匂いの変化も感じやすい。また、余熱の時間や火力の強さ、回転する速さ、どのタイミングで火力を上げるか、あるいは下げるのか。様々な要素が出来上がりのコーヒー豆の味に影響してくる。自分で仮定を立てて実験し、どうして上手くいったか、あるいはうまくいかないか考察を繰り返す。本やネットの情報をかき集めて実践しその通りになったりならなかったり、それを自分の経験と照らし合わせて落とし込む。全く一筋縄ではいかないから面白いと思う。

 

 ここから程遠くの町に住む、学生時代の友人が期間限定で飲食店を開くことになった。彼は世界数カ国を旅して、その地の飲食店で働きながら各国の料理を食べ学んできた。その経験を活かした料理はその地域の人たちを喜ばせていた。雪の積もり始めた頃に無事営業を終えた。その間、私が焙煎したコーヒー豆を使ってもらえることになった。主に自分で飲むために焙煎していただけだったし、他人に飲んでもらった経験はほとんどなかった。自分が焼いた豆で良いのか不安に思っていたが、友人が美味しいと言ってくれたので、定期的に送ることになった。

機会があり、実際に私も友人の場所でコーヒーを入れることになった。目の前にいる人に自分が淹れたコーヒーを飲んでもらうのはものすごく緊張した。お世辞かもしれないが美味しかったと言ってくれることや、自分が表現したい味が飲んでくれた人にも伝わったときが本当に嬉しかった。好きな音楽や映画について語るように、他人と感覚が共有できることはとても面白い。同じ時期に、いつも私がコーヒー豆を買っている焙煎士の方に、自分が焙煎したコーヒーを飲んでもらう機会があった。プロの視点で的確に感想やアドバイスをもらうことができた。今でも納得のいく仕上がりになったときや、アドバイスが欲しいときにお願いしている。つきつめた人の言葉は奥深く、自分のモチベーションを高めてくれる。

 

 その友人からある話をもらった。なんでも、ある古い建物を改築して事業を起こしているオーナーがいて、その建物の1階部分を飲食ができるスペースにするという。そこでカフェや飲食店をやりたい人を探しているというのだ。広さも十分あり、交通の弁も悪くない場所だ。

私はいつか喫茶店やカフェをやりたいと思っていて、コーヒーの焙煎を始めたのもその理由だ。遠い未来に思っていた”いつか”が急接近してきた。

 

つづく

人生の退き際の見定め /りょー

前回が「ここだけの話」というテーマをガン無視だったので(サーセン)、今回はちゃんと沿うように。 ツイートするにはやや長いし、愉快な話でもないのでこちらでこっそりと「ここだけの話」を…
 
40歳でおもんなかったらそこでお終いでいいや、と以前から考えてる。切っ掛けは親の影響が大きいかもしれない。
 
10年程前、母親が脳出血で入院した。当時54歳。脳出血にかかるにはだいぶ若いらしい。後遺症として左半身不随になり、車椅子を余儀なくされた。幸い右利きだったからまだマシな方かもしれない。数週間後にはそれなりに会話ができるようになった。しかし、見舞いに行く度にどうも心苦しくなる。ご飯を食べるのにも片手だけじゃ茶碗も持てないので、看護師さんに手伝ってもらえないと食事すらままならない。
入院から4,5年経った。周りは平均80~90代らしく、まともに会話にならないらしい。それ故、喋る機会が極端に少なくなりろれつが回らなくなった。そして長期入院による認知症の悪化。結果、意思疎通が難しくなってきた。
正直、こうまでして生きる意味とは何なのかは自分には分からない。ボロボロで車椅子生活の母親を見ながらずっと考えてた。
 
周囲の中年男性にも思うところがある。隣の部屋の住人は、どうやら過剰な神経質らしい。数週間前の休日お昼頃。LINEで電話をしていたら、ピンポンと。ドアを開けると、件の中年男性住人が現われた。そして開口一番「なんだ、テレビか!?電話か!?」とか言うので電話だと伝えると、「なら許してやるッ」と全く悪びれずに部屋へ戻っていった。意味が分からなくて唖然としてしまったが、要はうるさかったらしい。覇気のないささやき声レベルだったのに、だ。
一昨日。朝の8時からドカドカと壁をキックする音、ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピソポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン鳴るチャイム。ついに来たなとスマホの録音ボタンを押す。証拠を残すために。
管理会社が開く時間まで、前日の行動を思い出してみる。アベマで幽☆遊☆白書をうっかりスピーカーで再生してたからな気がした。つっても夜7時だし、音量もiPhone6sのボリュームバー3分の1くらいでスピーカーも部屋と逆側に向けてたのに。幽☆遊☆白書に罪は無い、あと多分自分にも。
時間になったので、通報して対応してもらった。到着直後にドアを蹴っ飛ばしたり好き放題やってる場面を見たらしいから、とりあえずこっちの妄言では無いと思ってくれたはず。
 
この手の中年男性及び近隣トラブル問題はまだまだあるが、長いので省略。
自分の周囲にはこんな感じの中年男性が目に余る。もちろん良い中年男性もいるけど。彼らを見てると何が楽しみで生きてるのか、もっと踏み込むと、何で生きてるのかが不思議でならない。
 
己について考えてみる。20代前半までは音楽という趣味が楽しかった。しかし25を過ぎると段々と音楽聴くのが億劫になってきた。言い訳ならいくらでもある。例えばサブスクリプションがちょうど日本上陸してきて、膨大なカタログが眼前に現れ、何を聽けばいいのか分からなくなってきたとか。ライブに行くのも好きだった。しかし今や2時間以上立ちっぱなしキツいなぁとか。まぁそんなワガママほざいてる合間に、この御時世でライブイベント自体がなくなったわけですが…
 
そして、着実に自分も中年男性になる事実が怖い。もちろん中年男性なのが悪いわけではない。人様に迷惑をかけるのは老若男女問わず言わずもがなだ。
ただ、このままだと確実に趣味への興味が薄れ、身体も衰える。答えは見つかってない。なのでオチもない。人生100年時代らしい。しょーじき、勘弁してほしい。

②ツイッター、失恋アルバム、歌詞世界と懸念点。/ littlegirlhiaceロングインタビュー

 

*聞き手:ヨシオテクニカ

*編集、文責:ふにゃっち

 

ツイッター

ツイッターを始めた経緯は、どういう?

「元々はバンドの絡みで告知用というかバンドマン垢みたいなアカウントがあったんですけど、それがだんだん窮屈になっていって新しく作ったのが「ふにゃっち(@yakinch)」っていうアカウントだったんです。経緯としては、元々そのバンド用アカウントでもオタクっぽい知り合いと繋がっていて、そういうノリで「ストライクウィッチーズ」というアニメの2期6話を観ながら実況したことがあったんですよね、バンド垢で。そしたらよくライブ観にきてくれてたとあるお客さんから「あなたをリムーブしたくなりました」というリプライが届いてしまい、これはもう別の垢作らないとやってられないな、と」

●そして複数アカウントを持つバンドマンになってしまったと(笑)。その「ふにゃっち」というアカウントが爆誕したのが約10年前の2010年ですが、そのくらいからもうミュージシャンとしてのふにゃっちさん個人の活動も始まったような感じですか?

「いや、最初はただの一人のオタクとしてそこに存在していた感じで、音楽やるつもりは全然なかったです。むしろもう音楽やりたくない、ただただオタクでいたい、くらいの。しばらくそんな感じだったんですが、秋葉原にmograっていうアニソンが爆音でたくさん流れるクラブがあって、そこにDJだったりお客さんとしてよく出入りしてる人たちとふにゃっちというアカウントがいつの頃からか繋がりを持ち始めて。僕もmograにお客として遊びにいったりするようになって。その頃くらいから試しにとらドラ!ってアニメの「オレンジ」って曲とか、けいおん!ってアニメの「ふわふわ時間」とか、アニソンの弾き語りをサンクラに公開し始めて。そしたらその辺の人たちに割とウケて。その流れでそういうアニソンが爆音でたくさん流れるクラブ系のイベントに何度かアニソン弾き語りで出演させてもらったりしましたね。眼鏡かけたオタクっぽい人とかアニメのコスプレした女の子とかがたくさんいて、皆フロアにしゃがんで僕の方を見上げながらオレンジ色のサイリウム振ってて、フロアが一面そのオレンジの光で埋め尽くされてる中で「オレンジ」を弾き語った瞬間っていうのはすごく、冷静に考えるとシュールすぎるんですが、すごく忘れられない光景ですね。「垢消し」はそういう場所で知り合った女の子について歌った曲だったり。まぁそんな感じで2、3年くらいアニソン弾き語りおじさんとして活動してたんですけど、そのうちにだんだんこう、「俺こんな事ばっかやってていいのかな」みたいな不安というか、モヤモヤしたものが生まれて。とりあえず一区切りというか、ここ数年やってきたことの総決算みたいな曲として作ったのが「垢消し」ですね」

●「垢消し」がサウンドクラウドに公開されたのが、2015年2月15日。

「どうしてそういう曲を作ったのかというと、当時ちょっと好きになった女の子がいて。その子はアカウントを消して「垢消し」のモデルになった女の子とはまた別の女の子だったんですが、その人に告白をするにあたって気持ちに区切りをつけておきたいなと思って作ったのが「垢消し」で。結局その子には振られちゃったんですけど、その振られたことによってさらにいくつか曲ができて、っていう」

●おそらくそういう存在がいるのではないかと思っていました。ふにゃっちさんは「君のことばかり歌うのもこれで最後になるだろう」といった感じでずっと「君」という存在について歌い続けていますけど、モデルになった特定の女性が実在しているんじゃないかと。仄めかしというわけではないだろうけど、ある一人の女性の事をずっと歌っているんじゃなかろうかと。

「うーん…ただ、いつも特定の誰か一人の女性をイメージして作ってるっていうわけではなくて。自分が思いを寄せてうまくいかなかった、そういう女性が過去に何人かいて。そういった女性たちのイメージが重なり合って生まれた統合体みたいなものが自分の中で一つの女性像として存在していて、それを歌詞の中では「君」として扱っている感覚が結構あるかなぁっていう。その「君」の中には例の高校時代の梓ちゃんも含まれていると思うし。そういう書き方をした最初の歌詞が「垢消し」だったっていうか。もう「垢消し」を作った時点ですでに特定の個人ではなく、複合体みたいになった女性像を想定して書いてるって感じでしたね」

 

失恋アルバム

●アニソンを弾き語ったりしてきたそれまでの数年の活動を総括する曲でもあり、その後の歌詞において重要なモチーフとなっていく「君」という複合的な女性像が最初に登場した作品という意味でも「垢消し」は重要な曲というわけですね。

「当初の予定としては「垢消し」を作った勢いで、失恋ソングばかり収録した「失恋アルバム」みたいなものを一枚リリースして、ふにゃっちとしての活動をそれで終わらせようと…何かを終わらせようと(笑)考えてたんですけど。そのはずがなんか、失恋アルバムに収録するには歌詞の内容的にふさわしくないテイストの曲…「リトルガールハイエース」みたいな曲ができたりして。なおかつそういう曲が割とウケてしまったので、失恋アルバムを出す前に、それに収録できない曲をまとめて先にリリースしてしまおうと思って作ったのが「リトルガールハイエースEP」だったんですよね。で、そうこうしてる間に「エリカ」とか「前川」みたいな失恋アルバムにふさわしくない曲がさらに増え続けて、失恋アルバムに収録できなそうな曲を先にまとめてもう一枚出しとこうと思って作ったのが「エリカEP」で。そうこうしてる間に「リベンジポルノ」とか「アンファッカブル」みたいに失恋アルバムにふさわしくない曲がさらにさらにできてしまったので失恋アルバムに先駆けてリリースしたのが…」

●「アンファッカブルEP」と「リベンジポルノEP」というわけですか(笑)。その「失恋アルバム」というのはまだ制作途中?

「全然できてないです。というか制作途中のまま半ば放置しちゃってますね…。失恋アルバムは、いつかふにゃっちとしての活動を終わらせるタイミングでリリースできたらな、くらいに思ってます」

●これまでリリースしたEPやアルバムの中にも「失恋のかけら」とも言えそうな曲がちょいちょい収録されてますけど、じゃあそういったリリース済の楽曲群とは別に「失恋アルバム」というラスボスが控えているような状況なんでしょうか。

「出すからには最高の失恋アルバムとしてリリースしたいとは思ってますけど、なかなか。もう一回くらいリアルに失恋しないと完成しない気がしますね(笑)。アルバムタイトルはもう「Air Reply」で決まっていて、以前サンクラに弾き語りデモとして公開した「Air Reply」という曲とか「垢消し」のバンドバージョンを収録する予定ではいます」

●そのアルバム、聴いててしんどくなりそうな名盤になることを期待しています…(笑)。つまり、失恋アルバムのカラーに合わなそうな曲を先にリリースし続けていたら、むしろそっちが活動の本流になってしまったような状況というわけですね。とはいっても、さっきも言いましたけど例えば「S.W.S.」とか「メモランダム」みたいに、明らかに失恋ソングと思われる曲であっても失恋アルバムに収録されることなくもうリリースされちゃってるじゃないですか。あれを上回るような名曲しか失恋アルバムには収録されないという事なんでしょうか?

「そういうことではなく、やっぱり新しく作ったものは早く聴いてもらいたいって気持ちとか、一枚のEPなりアルバムとしての構成や流れを考える上で「ここに失恋ソング入れたいなぁ」みたいな状況があったりするので、やっぱりそういう時はもったいぶらずに失恋ソングを収録しないとなぁっていう。そうやって結局、失恋アルバムの完成がどんどん先延ばしされていってるわけでもあるんですけど」

●「僕が先に好きだった」は失恋アルバムとはまた違う流れの曲ですよね。

「あの曲の主人公は僕本人ではないので、違う流れですね。歌詞の端々に自分の実体験を織り込んではいますけど。あの曲の主人公は僕みたいな性格で僕みたいな人生を歩みつつある、もっと若い人ってイメージですね。大学生くらいか社会人なりたてくらいの」

●ふにゃっちさんの歌詞には3つの流れがあると思っていて。①個人的な実体験に基づく曲、②アニメや美少女ゲームなどから題材を拝借した二次創作的な曲、③実体験でも二次創作でもない完全なフィクションとして作り出された曲、みたいな。例えば「垢消し」や「ギブ」は個人的体験型、「エリカ」や「前川」なんかは二次創作型、「リトルガールハイエース」、「サテラ」、「南行き」、「星をおとす」などはフィクション型、という感じで。「mai」は…実体験型ですよね(笑)。まさか尿管結石があれほどの名曲になるとは、あれはあれで語りつくせないものがあるんですが。ふにゃっちさんの曲はこの3つに分類できると思うんですけど、ご本人的には意識して作り分けているところはあるんでしょうか?

 

歌詞世界と懸念点

「うーん…(考え込む)。ただ、どの曲についても100%実体験だけ、とか100%フィクションだけということはないと思ってて。自分の実体験に基づいてるものであっても、歌詞として、お話として成立させる上で脚色だったり嘘を交えたりっていうところはあるし。逆にフィクションとして書いた歌詞の中にもリアリティを帯びさせるために僕や僕じゃない誰かの実体験を意図的に織り込んだり、もしくはそういうものが意図せずに滲み出しちゃってたりっていうのはあると思うし」

●なるほど。それは二次創作型の曲についても言えそうですね。例えば「エリカ」や「アカネ」みたいに、アニメの女の子の名前をタイトルに持ってきてるような曲であっても、いつのまにか主人公がふにゃっちさんそのものと化してる瞬間があったり、もしくはアニメの女の子を歌っているように見えて、いつのまにか例の統合体としての「君」を重ね合わせてしまっているのかもしれないなっていう。

「だから3つのタイプにかっちり分かれるっていうよりは、ちょっと現実とフィクションの境目が曖昧になってるっていう感覚はあるのかなって思います。現実と嘘の配分が100かゼロかではなくて、その間にグラデーションがある感じというか」

●3つの世界にはっきり分かれているっていうよりは、ただ入り口が3つに分かれているだけで、内部へ分け入っていくにつれて最終的には同じ場所にたどり着いてしまうような感覚はあるかもしれないですね。フィクションとか二次創作っていう話の流れで、ふにゃっちさんにはアニメやゲームをモチーフにした曲がたくさんあって、そこも多分ふにゃっちさんの人気の理由だとは思うんです。原作を知ってる人はより深く楽しめるような。でも、だからと言って、そういう部分で聴き手を狭めていないっていうか、歌詞のモチーフになったアニメやゲームの作品を知らない人でもそこで置いてけぼりにならずに聴けてしまうのがすごいなって思います。僕が最初に聴いたふにゃっちさんの曲は「エリカ」で、「そのアニメ知らんし、そのキャラ知らんしな」って思いながら聴いてみたんですけど。そしたら普通に曲が良くて声も良くて演奏もかっこよくて、ただのかっこいいロックな曲じゃないかって思ったっていうことが実際にあったので。

「変に内輪ノリにはしたくないというか、分かる人しか楽しめないものじゃなくて、分からなくても全然楽しめる上で、分かってたらもっと楽しめるかも、みたいなものを作りたいなとは思ってますね。僕の曲をきっかけに元ネタのアニメやゲームに触れてみたって言ってくれる人が割といて、それはすごく嬉しかったりしますし」

●ただ逆に懸念点として、「エリカって誰よ?知らんわ」ってなった時点でふにゃっちさんの音楽を聴かずに終わってしまう人だっていると思うんですよ。そういう形で聴く人を選んじゃってるところはあるのかなっていう。

「そういう人は少なからずいると思います。あとは僕のツイッターでの言動とか。ああいう感じでツイッターやっちゃってる人がやってる音楽なんて聴くに値しないでしょって思われちゃってるのかなぁってところも全然あるし。littlegirlhiaceってアーティスト名に抵抗を感じて聴いてない、または聴いてるって公言できないっていう人もチラホラ見かけるし。それは客観的に見れば当たり前の感覚だと思うし。例えば自分がもうちょっと違う人生送ってて普通に音楽が好きな人だったとして、今の僕みたいな存在を知ったとしたら普通に人間性を疑っちゃうと思うし、そんな人の作った曲を聴こうとは思わないだろうし、それ以前にたぶん関わり合いにならないようにすると思うし(笑)。だからアニメがどうこうっていうより、その人が僕の音楽のために自分の限りある時間だとか気力とか労力を割いてもいいって思ってくれるかどうかっていう話だと思うんですよね。それを踏まえた上で何ができるかって言えば、今までどおり俺はただ俺のまま、音楽もツイッターもやり続ける事しかないなと思ってて。それがいちばん誠実というか。その結果、多少なりとも僕に興味を持ってくれて曲を聴いて良い曲だなって思ってくれてる人たちがいてくれてるのであればそれは本当に感謝の気持ちしか湧かないし、ありがたい事だとしか言えないです」

●例えば「ふにゃっちの音楽は好きだが、センシティブな要素のある彼のツイッターは受け付けない」っていう人だっているかもしれないっていうことだよね?

「そういう人がいてもいいと思ってるし、そうやってツイッターと切り離して楽しむ事ができる音楽だと思ってるし、実際そういう人が一定数いるとも思ってて。(考え込む)…ただ、本当に音楽を突き詰めてやっていくのであれば、僕はツイッターを辞めるべきなんですよね」

●ふにゃっちさんのツイッターって、littlegirlhiaceという音楽の宣伝というか入り口としても機能していると同時に、本当ならふにゃっちさんの音楽のリスナーになってもおかしくない人たちをふにゃっちさんの音楽から遠ざけてしまってる逆効果な部分があるとも思うし、本当に諸刃の刃すぎるというか。そこがちょっと勿体無いなって思う部分もあるにはあるんですよね。

「そこは問題点として、ひしひしと感じています」

●ああいうツイートやリツイートをすることで聴き手をふるいにかけて入り口を狭めちゃってるというか。ただその一方で、そういう日頃の言動も含めてふにゃっちさんというミュージシャンが好きだっていう人だって一定数いるはずなので、本当に難しいところはあると思うんですよ。でも本当に、アニメやセンシティブな部分きっかけじゃなくふにゃっちさんの曲を聴いた人に対しても音楽としてぜんぜん通用するだけの力をあなたは持っていると思うし。「エリカ」とか「前川」とか、本当に良い曲書くから。だから音楽を本気でやるなら極端な話ツイッターを辞めるべきだっていうのも考え方としては全然あるよな、とは思ってしまいました。

「ただ前提として、ミュージシャンが宣伝やコミュニケーションの手段としてツイッターをやってるっていう感覚ではなくて、ツイッターのオタクが何故か音楽をやってしまってるっていう感覚はずっとあって。だから音楽を優先するあまりにツイッターでの立ち居振る舞いを改めたり辞めちゃったりするのは違うというか、嘘になっちゃうというか。なんていうんですかね…自分とっては音楽もツイッターも自己表現という意味では同じところから生まれてきているというか。どちらも等価値というか。同じ魂を分け合っているというか。ああいうツイートを自己表現と言っちゃうとちょっとアレなんですけど(笑)。もしくは音楽もツイッターも生活だったり人生の一部…ツイッターを人生の一部と言っちゃうとアレなんですけど(笑)。音楽辞めろって言われたら困るのと同じくらいツイッター辞めろって言われたら困ると思うし」

●普段ああいうツイートしている人が、ツイッター上の人格と歌詞の中での立ち居振る舞いにほとんどギャップがなくて、それでもなお素晴らしい音楽として成立してしまっているというのはある意味すごいですよね。でもツイッターと音楽どちらもふにゃっちさんにとって必要不可欠なものであって、自己表現という意味ではなにも違いはないという認識に立てばそれも納得というか。あとは例えば「尿管結石つらい」とか「水をたくさん飲む」みたいなツイートしてたのが最終的に「mai」みたいな美しい歌になっちゃうんだ、みたいな(笑)。そんな風にしてツイートが音楽になったり逆に音楽がツイートになったりっていう、そういう面白さみたいなものがふにゃっちさんにはあるのかなって思います。連動型コンテンツっていうか。

「それもミスチル桜井の影響というか、たとえば不倫してる時はちゃんと不倫の曲を作ってて偉いなっていう…人間としては割とクズな行為なので偉いとか言っちゃダメなんですけど(笑)。でもそれはそれである種の誠実さとも言えるし。あとは脳梗塞で倒れた数年後に作った曲の中に偏頭痛を薬でごまかす描写が出てきたり。ここ数年は死だとか老いっていうヘヴィで逃れようのないテーマに正面から向き合おうとしててエキサイティングだし。作品と人生が連動してる感じっていうか。僕は音楽と人生とツイッターが連動してしまってるところがあるから、そう見えるのかもしれないです。だから僕のツイートや音楽に対して割いてくれる時間やエネルギーが多い人ほどより深く楽しめるような状況になってるのかもしれない。逆に僕に対してそういう労力を割くのを惜しいと感じるような人からすれば「なんだコイツ?よくわからんし近寄らんとこ」みたいになるんだろうし。だったら他のやつ聴くわってなるんだろうし。それはそれで理解できるし。だからそういう意味では、僕の音楽は聴き手に要求する負担みたいなものが他のミュージシャンよりも大きいのかもしれないですね。その結果としてリスナー層を狭めちゃってるっていうのはあるのかもしれないです」

●それは意識的に狭めてるというより、結果的にそうなっちゃってる感じ?

「なっちゃってる感じですね、だから、もうちょっとだけリスナーの間口を広げたいなぁって気持ちはあるんですけど。でも例えば音楽ニュースとかで取り上げられちゃって僕の力ではコントロールしきれなくなっちゃったりするのはちょっとしんどいなって思うし。おそらく現状としては教室の隅っこで「おもしれー」つってこっそり回し読みされてるような楽しまれ方をされていると思うんですけど。どうやら僕の音楽は人前で「好き」って公言しづらい何かがあるみたいなので(笑)。こっそり回し読みされる教室の数が今は1つ2つくらいなのが5つとか6つとか増えてくみたいな広がり方が理想というか。体育館みたいな場所で表彰台に立たされるみたいな感じは困るというか。そもそもメインで活動していたバンド界隈から逃げてきてこっそり活動しているようなニュアンスなので表立った場所では活動しづらいっていうのもあるし」

●最初はバンドキャンプでのリリースが主だったのが、近年では音楽サブスクリプションにも登録したのもそういう間口を広げたいっていう思いがあったんでしょうか。

「そうですね、それもあるし…。僕は自分の曲が好きで、よく聴いてるんですけど、バンドキャンプだとストリーミングで再生すると一曲終わるごとにいちいち次の曲の再生ボタンをクリックしないと再生が止まっちゃってアルバムとかも通して聴けないんですよ。だから通して聴けるようにサブスクに公開したっていう」

●自分で聴く用だったんですね(笑)。

「それはまぁ半分冗談として。実際サブスクきっかけで知ってくれた人もいただろうし、サブスク始めた意味は多少なりともあったんじゃないかと思います。あとは、バンドキャンプだと僕は全曲無料でダウンロードできる状態でリリースしてるんですけど、サブスクだと微々たる金額ではあるにせよ聴いてもらえた分だけお金が入ってくるっていうのは大きいですね。やっぱりお金もらえるとモチベーション上がるんだなっていう」

●バンドキャンプは音源の値段をアーティスト側が設定することもできるんですが、なぜ無料でリリースしているんですか?

「自信がないから。音質だったり歌ってる内容的に、有料にしたら誰も聴いてくれないんじゃないかなっていう恐怖心というか心の弱さがあるんですよね。たぶんあんまり自分の音楽やリスナーのことを心から信頼できていないんだと思います。でも投げ銭みたいな料金システムだってあるわけだし、その辺はちゃんと向き合って、考えていかないといけないなとは思っています」

●あとは、曲をリリースしたらマメに告知してて偉いなって思います。

「そうですかねぇ…。そんなにガンガン宣伝してるつもりはないですけどねぇ。やっぱりリリースしたからにはある程度は聴いてもらいたいという気持ちはあるので宣伝はしますけど。でも宣伝しすぎて「こいつウゼえな」って思われちゃったらアレだなぁっていうのもあるし。そもそも僕はミュージシャンとしてツイッターやってるわけでもないから尚更(笑)。なのでその辺のさじ加減みたいなのは悩ましいところはあるんですけど」

(続く)

ここだけは122の変死体 /北村灰色

――あの日刻まれた時計の針に、確かな青だけが遺されていた。

 此処は紅色の墓標が撤去された夕暮れ。空白と空欄の書簡に逆行を注ぐ胎内の、その温もりすら、静脈に打たれて(しまった)ダチュラの季節を焼きつけた。

 理由もなく、唯もう、この世界にいる意義を忘れてしまう。

混濁 泥濘 昏迷と春が来ない塹壕戦。

 記憶の迷路に巣くう、かつての少女は今も尚、錆びることの無い剣を掲げて、水を求めて彷徨う群衆を切り裂くことを望んでいる。

強欲に浸された牛が、出口へと導かれるアリアドネの糸に火を放つ刹那の笑みを、惨めなままにリプレイすることに浸されたから。

 積み重なる罪、122の変死体が齎す感情は幽霊の動物園に放り込まれて。

 夢は夢のままの夢の深層水が深海と溶け合う淡い霊安室

 消えることのないランタンの炎が微かに揺れて、錆びついたコールタールがモノクロームのエンドロールを描きだす。

 手向けられた花束の意味? 渇ききった蝋燭の涙すら枯れて。

「私の裸足だけは隠してほしい」

 あまりにも傷ついた賢者の言葉がそう木霊するとき、無機質な戦争の子供たちは翡翠色のビール瓶を一つ、また一つと打擲してゆく。

 地図に描かれた(全ての憎しみ)を塗りつぶすことに希望を描く肉塊はきっと、彼らの左手が涙色の血に染まることを永遠に理解することができない。

 王座を揺らす白い手、反転或いは公転を繰り返す支配者の笑み、白夜をブーケで彩れば、そこにはきっと臓器を抉られたトカゲが悶え悦ぶから、と。

……ここだけは救済の十字架が聳え立ったままだ。

 磔の承認者がうな垂れて、息すらままならない沈黙者たちは、穴の空いた船に帆を張り巡らせる。

 沈みゆく太陽、熱病の裏側から現れた一匹の蜘蛛、手首を這い回るその極彩色に煽動されるかのように、彼女たちは一様に腰の短剣を以てして錠剤のmmを砕こうとする。

「機械の国で聞こえぬ声を、いつか聞こえることを願って」

 どこにいけばいいのか? どこに君はいるのか?

 その錆びついた鎧から滲む動脈血の色は、いつも真実の色では無いのに。

 十字架、変色した薔薇を造花へと変換するとき、その瞳は否応なく濁ってしまう。

 コンタクトレンズの海辺に月光の旋律が踊る時、水死体の喜悦はまどろみすら瓦解させて、眠りの無い永眠がきっと白衣によって導かれるから。

 モザイクのシャンデリア、照らす虚構に紫煙止まず、僕らはまた、悲劇に充ちた123を砂漠のような眼差しで見つめている。

「恋人できた?」とみんなにきかれる /どようびのよる

会う友達会う友達に「恋人できた?」ときかれる。みんな、心配してくれているのだ。やさしさなのだ。わたしは29歳、もちろん独身。そりゃそうだ、結婚して、子どもができている人もたくさんいるし。

 

わたしの両親はそこらへんは心得ていて、センシティブな話だと思うのか(諦めているのか)全く話を聞いてこないのが救い。一度、わたしがゼクシィのCMを見て「結婚いいなー」と言ったら、「する気あるの?」と2度見されたことはあるけれど。

 

そして帰省したときに受けるのが、独身の孫を心配する祖父母からの「結婚まだか」の嵐…。「はやく結婚しないと。仕事ばっかがんばってるのかい。」「○○ちゃん(わたし)は彼氏はいるのかい。」 …などなど。もう慣れたし、たいしてダメージをくらわずにへらへら返せるけれど、それでもやっぱり少し申し訳ない気持ちになる。

 

さて、この夏に帰省した際、「また言われるなあ…」と少し覚悟していたら、ばあちゃんから「○○ちゃんは元気にいてくれたらいいよ。結婚しなくてもいい。結婚したら心配することもたくさん出てくるしね」と言われたのだ。どうしてこういう考えになるに至ったのかはわからない。とにかくびっくりしたし、嬉しかったけれど、やっぱりごめんねとは思った。

 

恋人はほしいけど頑張れない。頭でっかちで可愛くないわたしは、頑張らないと恋愛ができないと思っているので、頑張ってないわたしはきっとその資格がないんだろう。まわりのみんなにやさしく心配されつつも、わたしは毎日のんきに暮らしてしまっている。

エニワン・キャン・プレイ・ギター /ヨシオテクニカ

年が新しくなるとつられてなにか新しいことをはじめたくなる。
新年。そこにはいい意味でリセットが効いていて、またやっていくぞみたいな前向きなムードが全世界に等しく付与されるのだけど、それが長続きするかしないかは別の話、みたいなところが僕個人の経験からは痛感してしまうところ。
まあでも運よく長つづきしたものもあって、たとえばギターを弾くことなんかはかれこれ20年以上つづけることができているので、ちょっとそのうまくいったケースを思い出してみる。
というわけでここだけの話、きょうはそのギターをはじめたときの話をしてみたい。

 

 

  everything is my guitar
  物語が始まるかもしれないんだよ
  everything is my guitar
  僕のギターをきいてくれよ
  「everything is my guitar」andymori

 

中学三年生の秋、そのころよくいっしょに遊んでいた友人のRがエレキギターを弾きはじめた。学校の近くにあった彼の家にしばしば入り浸っていた僕は、ちょっと俺も弾いてみたいという感じでさわらせてもらう。
はじめて弾いたフレーズたちのことはもちろん憶えていて、それは当時リリースされたばかりで雑誌にもスコアが載っていたBUCK-TICKの「ヒロイン」とL'Arc-en-Cielの「虹」のイントロのフレーズだった。
もちろんそのときの演奏とも呼べない弦をはじいた音はすごくたどたどしかったのだけど、でも、CDで聴いたことのある音楽はそのまま両手の指の動きをうまく組み合わせれば再現できるのかもしれないと思って感じた静かな興奮のことは、とてもよく憶えている。
これは、ぜったいに無理な楽器というわけじゃない。ずっと繰り返して弾きつづければ、なんとかなるのかもしれない。そうしたらいろんな好きな曲をこの手で鳴らすことができるのかもしれない。そんなことを思った。
それとあと、僕が当然苦戦したフレーズをこうやるんだよとなんなく弾きこなしていたRのことが、すごくかっこよくみえたこともまた、よく憶えている。

 

高校受験をひかえていたから、すぐにしっかりとギターに取り組めたわけではなかったのだけど、でも春になったらちゃんとギターをはじめてみたいと思って、そんな気持ちを抱えてるだけでその冬はわくわくすることができていたような気がする。
その日からはLUNA SEAを聴いてもGLAYを聴いてもL'Arc-en-Cielを聴いてもギターにとくに注目するようになったし、CDコンポから聴こえてくるフレーズをなぞるじぶんを想像したりもしていた。

 

春をむかえ事態は中学生っぽく加速し、いつのまにかバンドが結成されていてメンバーになっている。
あいつがボーカル、あいつがベース、あいつがドラムで俺とおまえがギターだから、そういうふうにもちまえのカルチャー面での果敢な行動力を武器に水面下で同級生に声をかけていたRは僕に告げた。卒業間近にこんな勢いで決まったに決まっている話、長つづきするんだろうかとそのときからすでに訝しがってはいたけれど、でもギターをちゃんとはじめる動機がひとつ追加されたのはよかったなと思った。バンドを組むならのんびり構えてもいられない。まずギターも買わなきゃいけないし。

 

 

このくだりをいま振り返るに、どう考えてもRという"その道に導いて且ついろいろアドバイスをしてくれて且つつづけさせる理由をつくった"ひとがちかくにいたというのは、ほんとうに幸運だったとしか云いようがない。
もちろんこのひととの時間がなかったら、その時間は他のひとやものに向けられていたはずなので、なにをもって幸運とするかなんて判断できるわけがないのだけれど、でもギターをはじめるという話に限定するならば、この友人Rが近くにいてくれたことは、とても幸運なことだったと思う。
バンドを組んでしまうと、簡単にはやめられないというか、そのコミュニティから抜けることになるのがとくに十代のときはきつかったりするので、ギターをはじめるにあたってそういった外部からの強制力が働いてくれていたというのはけっこう大きかった。

 

外部からの強制力。その力のことを思うとくらくらする。なぜかというとこの文章もまさに約束によって生じた締め切りがたしかに存在していて、その外部から生まれた力に追われるように打鍵をつづけている部分も確実にあり、そんな力のすごさとおのれの情けなさ、成長のしていなさをまざまざと感じることができる。
他者と約束をする。締め切りを設ける。この二つはなにかを為すにあたって、継続させるにあたってとても有効な手段なのだけど、でもそれがないとおまえはなにもできないのか? と暗澹たる気持ちになりもする。なので(なので?)なにか新しいことをはじめるにあたって、この文章で云いたいことがあるとするならば、それは身も蓋もないあたりまえのこんな事実になってしまう。

 

 

  これは俺のギター
  俺がただ弾くためのギター
  指になじんでとても具合がいい
  さすが俺のギター
  「俺のギター」奥田民生

 

高校に入学しほどなくして買ったギターは、アリアプロⅡというメーカーのストラトキャスター型の中古のエレキギターだった。いまにして思えばハードロック趣味がすぎる赤紫みたいなボディの色はいけてなかったし、ハムバッカーにしてはパワーがなかったななんて、つけられるけちはいくつかあるのだけど、でも、ギターをはじめて文字通り的に苦楽をともにした、そしてギターというものを教えてくれたその一本はとても愛おしいものだったなと思う。
そのギターを抱えていっしょに買った初心者セットみたいな小さなアンプにつないで、毎日2時間くらい、LUNA SEAGLAYやL'Arc-en-Cielの曲をずっと練習していた。
2時間もよく弾いてたなと思う。部活動に参加していなかったからそれくらいの時間はとれたのだけど、いまとなればその毎日練習してくれた昔のじぶんになぜか感謝したい気持ちが湧く。あのころはたしか、ギターを弾くのがけっこうたのしかったし、毎日ちょっとずつうまくなるのがわかったのがよかったんだと思う。

 

 

さっきからこの高校生はヴィジュアル系のバンドの曲しか練習していないのだが、これも時代のひとつの側面だと思ってほしい。
もちろんその頃にはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTBLANKEY JET CITYもばりばり活動していたし、くるりNumber Girlスーパーカーも世に出てきはじめてはいたのだけれど、そういった日本の王道あるいはオルタナティヴなロックや海のむこうの音楽にこの高校生がふれるようになるのは、そしてBUMP OF CHICKENsyrup16gに出会うのは、もうすこしさきの話になる。
なるし、僕にとってヴィジュアル系はそこに至るための通過点でもなんでもなくて、バンドのかっこよさ、ギターソロのかっこよさ、そしてかっこつけていてかっこいいということが最高にかっこいいということを教えてくれたこの見ためにくせのあるロックバンドたちは、いまでも音楽を好む気持ちのまんなかにいてくれている。
グラムロックやハードロックがその源流にある日本独自のヴィジュアル系という音楽ジャンルは、ハードさとポップさを両立させながらエレキギターをかっこよく見せたり聴かせたりすることをとても大事にしてきたから、そこに憧れながらギターの練習ができたのはいいことだったんじゃないかなって思い込むことができた。

 

 

  テレキャスター フライングV SG
  レスポール ダン・エレクトロ
  ジャズマスター グレッチ
  ストラトキャスター
  It's Only R'n R Workshop!
  リッケン・バッカー! Right!
  「(It's Only)R'n R Workshop!」くるり

 

ギターから手がはなれたことはそれからもなかった。
つづくのが当初はあやしかったバンドは高校のあいだに2回ライブをしたし、そのときのドラムとは大学に入ってもバンドをつづけた。
大学を卒業してメンバーが散り散りになってからは寂しくなって自宅録音をはじめたし、ギターはアリアプロⅡからグレッチのデュオジェットに代わり、そしてフェンダージャズマスターに代わっていった。
LUNA SEAGLAYやL'Arc-en-Cielのライブも観ることができたし、Rage Against The MachineRadioheadMy Bloody Valentineのライブも観ることができた。
ギターのおかげでいろいろな音楽を知ることができたし、つたないながら音楽をつくることもできるようになっていた。

 

僕にギターを弾かせたRとはいまでもたぶん友だちで、最近ではこんなことがおこる。

 

「このまえリリースされたこの曲さ、すごくかっこよくて好きなんだけどこれどういうジャンルなのかわからなくておもしろいから聴いてよ」
助手席に座っていた僕がカーステレオにつないだiPodから曲を再生するとなぜか笑いだすR。いや笑うのはやすぎだろ俺はこれかっこいいって思ってるんだから。
「いやごめん、これ俺がエディットやったやつだから笑っちゃった」
「は? これおまえの仕事なの? なんでおまえそれ云わないの? なんでもっとアピールしないの?」
「これはただのミクスチャーだよ」
「ミクスチャーね、べんりな言葉だよほんと」

 

  Anyone can play guitar
  And they won't be a nothing anymore
  "だれにでもギターは弾けるし
   もうなにもないなんてことはないんだよ"
  「Anyone Can Play Guitar」Radiohead