SPECIAL EDITION

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ロックバンドをストレートで。 /ヨシオテクニカ

ここだけの話といえば偏愛とか性癖とかを開陳するのがいいのではないか、というご意見をいただく。
たしかにそれはいいかもしれない。じぶんで認識している偏愛や性癖(嗜好や傾向)を書くとここだけの話感がでるのかもしれない。ならばチーズが苦手な話をすればいいのか、餃子を醤油のみで食べてしまう話をすればいいのか、だけどそれだと140字以内に収まってしまう気がする。それ以外だと、これは書けないなと思うこともけっこうある。なので(なので?)、穏当なところで、音楽において僕がいだく偏愛について語ってみることにする。
というわけでここだけの話、きょうは音楽への偏った愛の話をしてみたい。

 

  ドラムがハナだ
  しっかりやってくれ
  ベースがカナメだ
  しっかりやってくれイエーイ
  ギターとピアノは跳ね回ってるだけさ
  バンドは今夜もここでやってるぜ
  「MTRY」奥田民生

 

音楽ではロックがとくに好きで、その理由のひとつは、それがドラムとベースとギターとボーカルという四つのパートだけで表現ができるから。
もちろん上記の引用で民生も歌っているようにロックには他の音だってしばしば存在していて、ピアノもオルガンもシンセサイザーもストリングスもホーンもブルースハープグロッケンシュピールもその他もろもろも取り入れられている。
ロックという音楽は時代に合わせて転がりつづけ、どん欲に他のジャンルからスタイルや技法を取り込んでいくという性質があって、これという決まった型を有していないのがその特徴とも云える。でも、きっと異論はあるのだろうけど、僕はドラムとベースとギターとボーカルがロックミュージックを織りなす音の要素の軸であり核であり基本形であると思っている。

 

ドラムとベースとギターとボーカルがそろえばロックができる。
そして、そんなおなじ楽器を奏でてもそれを鳴らすひとたちが、バンドがちがうだけで出てくる音がまったくちがってくるところがとてもおもしろいしたのしいし興味深い。
たとえばこんな妄想をすることがある。ある架空のロックフェスがあって、そのステージにはドラムとベースとギターとマイク(それとあとBOSSのいくつかのエフェクターがあってもいいかもしれない)といった最小限の機材が置いてある。そこにバンドが手ぶらでやってきて、妄想だから好きに選ぶけど、OasisRed Hot Chili PeppersRadioheadRage Against The Machineなんがやってきて、それぞれステージに置いてある楽器をつかって演奏をする。そうするとみんなおなじ楽器をもちいたとしても、各々の音もバンドの音も全体の表現もぜんぜんちがうものになるはずだ、なんて妄想をするし、ほんとうにそうなるのかを確認したいがために、やっぱり観てみたい。
おなじ絵筆で描いても、おなじペンで書いても、まったくちがう風景や物語がうまれるように、どうしようもない差異を見せてほしいなと思う。

 

ただ、いまやドラムとベースとギターだけで構成されたトラックは「シンプル」なんて評されそうな向きもあるし、完全に僕の観測でしかないのだけど人気のある流行りの編成ではもちろんないような気はする。
ロックにおいては60年くらいまえからあるフォーマットだからたしかに古いのかもしれないし、話は飛躍するけれどそんなオーセンティックなロックバンド像は、近い未来に伝統芸能みたいな立ち位置になっているのかもしれないなと思ってしまう。というか、もしかしたらもうなりかけているんじゃないかと弱気にもなる。

 

ドラムとベースとギター以外の楽器をいったん考えから外してしまうのはなぜだろうか。バンドのかっこよさを僕に最初に教えてくれたLUNA SEAGLAYもL'Arc-en-Cielもピアノやシンセサイザーやストリングスやホーンで曲をたくさん彩ってきたというのに。
ドラムとベースとギターのみの構成にどうしても引き込まれてしまう理由を考えて、みっつほど思いつく。
ひとつめは、たぶん僕がなんとか把握できている楽器がその三種(とボーカル)だということ。ギターとベースはいちおう弾ける。ドラムはほとんど叩けないけれど打ち込むことはできる。それぞれの楽器の働きや役割はある程度理解できている。だから鑑賞するうえでそれらが見晴らしよく聴こえることをどこか期待してしまう。
ふたつめは、じぶんがその編成でバンドをやっていたということ。だからその組み合わせでのおいしいところも限界もすこしは解っているつもりでいて、たとえばそんな限界をアイデアで突破していこうとする姿勢なんかにすごく痺れたりもする、ドラムとベースとギターだけでいかにありきたりさを打破しオリジナリティを獲得していくかという発想や手法にとても興味がある。
みっつめは、僕が密かにギターこそがロックの主役であるとこっそり思い込んでいるということ。エレキギターがいちばんかっこよく響き、魅せることができるのがロックミュージックというジャンルだと思っているし、ロックの歴史は同時にエレキギターの歴史でもあった、なんて思ってしまっている節もある。これはたぶんに偏っている考えだという自覚はあるし、それにエレキギターはもうロックの主役ではないような気もしている。でも、ドラムとベースからなる土台のうえでは、ギターがかっこよく目立って響きわたって欲しいという願望がやっぱりどうしたってある。
このあたりがロックのなかでも、とくにドラムとベースとギターのみで成り立つタイプのものに心惹かれる理由になるだろうか。

 

ここでBUMP OF CHICKENを例にとってみたい。このバンドはたぶんご存じのとおりドラムとベースとギターという楽器の編成でライブハウスから世に出たバンドなのだけど、徐々にその基本セットのロックバンド楽器(造語です)以外の音ももちいるようになってきた。
メジャー1枚目の『jupiter』まではシンプルなフォーマットのままなのだけど『ユグドラシル』からはささやかにいろいろな楽器の音が足されていき、『RAY』以降はシンセサイザーを大きめに使うこともあたりまえになってくる。
この変遷にはいろいろな経緯や志向があると思うのだけど、正直に本音を云うとストレートなロックバンドの音のつくりを好む身としては一抹の寂しさがどうしたってあるし、まだドラムとベースとギターだけの表現を期待してしまうところもある。
シンセサイザーやストリングスによる音のひろがりは耳ざわりのよさを呼んで時に無骨なロックバンドのサウンドを柔らかくすることができる。なので大衆性を得たり大きな会場でライブをするのであればそれは必要なオプションなのかもしれない、そんな気がする。
近年の曲たち、シンセサイザーで煌びやかに彩られた「虹を待つ人」も「ray」も「GO」も「Butterfly」も「Aurora」も「記念撮影」もエレキギターだけではまず届かないようなスケール感を湛えていてバンドの飛躍の一助になっている要素だとは思う。一昨年東京ドームで観たこのバンドのライブでも演奏されたそれらの曲たちは、とてもひろい会場に臆せずにおさまっていてこれは必要な選択だったんだなと思い知らされた。
でも、なのに、そのライブで僕の胸を強く打ってしまったのは四人だけの、ドラムとベースとギターだけで構成された「天体観測」であり「真っ赤な空を見ただろうか」であり「ガラスのブルース」でありアンコールにて準備なしで急に演奏された同期無しの「花の名」だったりした(たどたどしいところも含めて最高だった)。
隙間があって綺麗じゃなくてサステインはずっとはつづかない、どうしたって限界や制約のある音の組み立てでの表現を生で観れてよかったと思ってしまったし、そういうのをもっと演ってくれと思ってしまった。

 

締めたいと思うのだけど、どうにも偏見に満ちた考えを記してしまった気がするし、じぶんでじぶんの意見の脆さや矛盾を指摘できてしまうという情けない思いもある(文章を書くとき、せめてじぶんでじぶんに突っ込めるところがないようにしようとしているのだけど)。
それでも「ここだけの話」というテーマに甘えて、普段思っているけどなかなか口には出せない偏愛を言葉にさせてもらった。
これからもどんなにロックが進化しても変化しても、でも僕はこういうスタイルを求めつづけてしまうという気がするし、ずっと聴いていたい。ロックバンドをストレートで。

 

  ロックンロールに必要な物はスピード
  ロックンロールに必要な物はビート
  ドラマーとベースグイングイン
  ギターギュイーン
  「Rock'N'Rollが必要だ」O.P.King